群青の隘路に

喚き散らかす

あるべきところへ戻ろうか、たとえ現実がクソッタレでも

 溜めに溜めてる『おそ松さん』感想、今回は23話の記事でございます。見事に一週遅れになっている……。とはいえ松24話は既に視聴済みですので(本当はこの記事書いてから見るつもりだったんですけど我慢出来ませんでした)ここいらで追いつきたい気持ちです。でも正直24話に対して私の気持ちがまず追いついてないです。記事上げる頃には腹くくりたいと思います。最終回の放送日は旅行中だからやっぱりリアタイ出来ないしね!!また遅れるね!!他にもいろいろ書きたい記事があるので、それも含めて黙々書いていけたらなあと思います。

 

【Aパート:灯油】

 今回のお話は前半後半が続いている一繋ぎの構成でした。一応サブタイトルがそれぞれにつけられているので、10話レンタル彼女回とは異なり、CM前後でそれぞれにオチがついています。Aパートの骨子は以下の通りです。

・真冬の松野家。ストーブの灯油が切れてしまったことから、兄弟間で「誰に灯油を入れさせるか」の心理戦が繰り広げられる

・それぞれが策略、時には暴力をもって相手を屈服させようとする。しかしそこでそれまで眠っていると目されていた十四松が起きていたことが判明

・好き勝手に動き、それでいて決して灯油を入れに行こうとしない十四松。最後に彼はチョロ松を名指しで呼んで灯油がないことを強調する

 今回のAパートで私は、兄弟のパワーバランスが最終回に向けてかなり変わってきたと感じました。というかキャラそれぞれが、前回の感想でも触れましたけど、「成長した」と思う。私は以前友人が言った「松の最終回は白黒の画面に戻ること、つまり『おそ松くん』への回帰」という考え方を支持していました。それは今でも変わりません。けれど同時に彼らは成長しているとも思う。回帰と成長、一見すると真逆ですよね。過去に帰ることと未来に変わっていくことですから。けれどこの『おそ松さん』において、その二つはイコールで結べると私は考えています。ゆえに今回のパワーバランスやキャラ造形が随分変わったことは、成長であり回帰であると思う。

 元々『おそ松さん』の六つ子達は、「絶対神赤塚先生亡き後の新しい時代に、成長した肉体だけを与えられて、突如連れて来られた子供達」なんですよ。かつて一世を風靡した自分達が、27年ぶりにまたテレビの表舞台に出ることが決まった。だからこそ彼らは先生のいない世界で生き残る為に幻の1話で散々悩み迷走して、そして「結局やること何もみつかんねー」からニートになったんです。本当なら学生時代があったはずです。思春期の狭間で思い悩んだ時期があったはずです。けれどそれは描かれない。だって六つ子は作品の中でも作品の顔としても、笑いを提供するコンテンツでしかないからです。『おそ松さん』とミソジニーの話をした時、女を客体として消費することの是非に触れたと思います。けれど同時に私達も、そしてあの赤塚台の世界の人間達も、六つ子のことを「同じ顔をした愉快な悪ガキ」とひとくくりにしているんです。私達もまた六つ子を客体として扱い、そしてそのエンターテイメントを消費している。で、話を戻しますけれど、つまり彼らは確かにくん~さんまでの歴史を持っているにもかかわらず、事実上は子供の心のまま平成で大人になることを強いられたわけです。やることは見つからなくても、始まったからには演じなければ。皆の知らない学生時代から寄せ集めて、それらしい未来の自分にならなければ。そうして出来たものが、「小学六年生メンタル」「クールな参謀」「常識人」「毒舌ダウナー」「異常なバカ」「あざといビジュアル担当」だったわけです。トド松は13話でいらない子だと言われた時、「僕がいないとお前らやばいから! ビジュアル担当誰がやんの!?」と反論しましたよね。担当って何だって話なんですよ。六つ子はキャラが被らないようにそれぞれの方向性を選んでいる。もちろん各々適性があって、選ぶべくして選んだあり方だとは思うんですけれど。でもそれに無理があったから、カラ松はいつも痛いと排斥されていた。チョロ松は自意識ばかりが大きいことを突きつけられた。一松は5話で破綻させられた。十四松は地獄のようにスベっていた。トド松はメンタルが弱っていざという時負け戦を選ぶようになってしまった。私はそう思います。彼らは彼らなりになりたい自分になろうとして演じて、あるいはそれに挫折して湾曲した形に落ち着いて、そうやって生きてきた。そうやって生きた成人男性として、この地上波に戻ってきました。けれど最終回に向けて、「回帰」が始まっている。カラ松は16話で謎に突っかかってくる一松と和解(した自覚は本人にはありませんけれど)して以降どんどん普通の兄弟らしい立場になっている。チョロ松はクズであることを21話で認めてから昔らしいあくどさを全面的に出して来た。一松はいろんな振り幅を見せてなお、繊細な本性を隠さなくなりました。十四松は今回からも分かる通りピエロであることをやめていて、そしてトド松は「末っ子が」と抑圧してくる兄に意趣返しが出来るまでになった。これは回帰の一環です。そして私はこれを、成長と呼んでいます。彼らは回を追うごとに、自分が選んだキャラ付けやそれに伴う価値観が間違っていることを学びます。そしてそれを次に生かしてくる。これは成長と呼んで差し支えないと思います。つまり彼らは「本来ある姿に回帰する」過程で、「間違った考えを改めて学んでいる」んです。元々あった自分達の性格や考え方にそぐう形で、肉体の年齢に追いつこうとしている。

 私はカラ松ガールズですからカラ松のことをよく見ています。なのでこの論を述べるにあたって、彼ほどお誂え向きの男もいないと思う。カラ松のことを例に取って、回帰と成長の話をもう少し解説します。持論展開しすぎて絶対分かりにくい文章になってると思うので……。まず『おそ松くん』時代のカラ松は「カラカラ空っぽ、カラ松だい」の口上に表れている通り、頭の空っぽなおバカさんです。腕っぷしが強くて凶犬らしい喧嘩っ早さもある、からっとした空元気の男の子。それに対して『おそ松さん』の彼は、クールな参謀という立ち位置です。とは言え実際はクールぶってカッコつけてるナルシスト、兄弟からも軽んじられて、公式のキャラ紹介文から参謀という字は消えました。カラ松が『おそ松さん』でどのように成長していったか、簡単に以下の通りにまとめます。

5話:「カラ松事変」での扱い。兄弟だからといって無条件に愛されるわけではないと知った

8話:「トト子の夢」トト子ちゃんへの意見。正論を叩きつけることは周囲を慄かせることが出来ると知った

10話:アバン釣り堀feat.おそ松。己の有りようが「痛い」と言われることに対し改善を試みた

13話:「事故?」銭湯での発言。積極的に改善点の指摘を求めた

14話:「風邪ひいた」看病パート。愛される為に愛することを思いつく/「トド松のライン」トド松の兄弟ランキング。求めたことでトド松から(真偽は不明にせよ)兄弟で一番好きだと言われる恩賞を受ける

15話:「チビ太と花のいのち」フラワーと結婚。おそらく過剰な愛情によりフラワーを暴走・根腐れさせて枯らした

16話:「一松事変」一松を庇う行動。これは自覚していないけれど、この件以来一松と対等な関係に

17話:「十四松」十四松の変化がいつからかの会議。一松に話題を振って普通に会話出来る(この辺りから兄弟間における発言権を同等に獲得している)

18話:「イヤミの逆襲」レース終盤にて。主役になりたいこと、モテたいことを暴露

21話:「麻雀」兄弟のプレイスタイル紹介。相手をよく見て分析している

 で、今回23話です。灯油を入れろよ、という兄弟の威圧に対して、カラ松が何を言ったか覚えていますか。「気付いたんだ、行き過ぎた愛情は人をダメにする。突き放すことが俺の愛だぜ、ブラザー」って言ったんですよ。言い逃れ的ではありましたが、彼は確実に15話のことをバックヤードにしてそれを告白した。カラ松は15話でフラワーにアイスと酒を常時与えるという、どう考えても過剰な養分を求められるまま差し出していました。結果として作中ラストでフラワーは巨大化して暴走していたわけですが、きっとあのまま続けていたら確実にどこかで根が腐ります。そしてフラワーは枯れた。そこでカラ松はやっと気付いたんじゃないでしょうか。相手をスポイルすることは、理想の愛ではないと。だから今回、トド松に熱湯を浴びせられようとも折れなかった。私は泣きました。嬉しかった。カラ松がやっと気付いてくれた。共依存待ったなしのスポイル属性を、自ら気付いて律してくれた。本当に嬉しかったです。成長したと思った。そしてカラ松は成長の度に、兄弟間のヒエラルキーを逆転しています。彼はかつて「誰が誰でも同じ」だった頃のように、次男として、あるべき地位に回帰した。これが私の述べる、回帰=成長論の根拠です。

 同時に、十四松。あれだけ体力バカを公言し愛され癒されピエロであったはずの十四松もまた、成長の果てに自分本位な部分を隠さなくなりました。9話で恋をして、17話で自己概念と対話して、18話で諍いを傍目に見ていた彼です。それを経ての23話、自分本位の塊だったではありませんか。自分一人だけ布団にくるまって寝たふりをして、そのくせ寒くなると不機嫌になって自分の分だけのスープを用意する。そして最後にはチョロ松を指名してまで、自分は灯油を入れに行かない。もう十四松は自分がやりたいことしかやりません。兄弟想いなことは変わりませんし、場を和ませることを大事にしているのは事実ですが、それはその空気が自分に都合のいいものだからであって人の為ではない。そのことが今回ではっきりしたなと言う印象を受けました。ちなみに何でチョロ松だったのかは、正直分かりません。十四松が具体的にチョロ松に恨みがあったわけではないとは思いますが……。ただ十四松はずっとこの戦局を見ていたわけですよね。そうしたらチョロ松が最もストーブの傍にいたのに逃げたことも、ただ実況、便乗するばかりで自分から仕掛けなかったことも全部知っている。「チョロ松兄さん何もしてないでしょ、陥れる策もないならさっさと入れてよ寒いから」ってところなのかなあ。私はそんな想像をしています。

 パワーバランスとか成長と回帰とかだらだら言いましたけど、クズの押し付け合いも本当に面白かったです。みんなでわいわいしているのが好きですし、くっだらない心理戦とかゲス顔とか終始笑いっぱなしでした。こいつら全員馬鹿だな~~!! 可愛い!!

 

【Bパート:ダヨーン族】

 Aパートからの続きです。骨組みは以下の通りになります。

・十四松の指名を受けて灯油を買いに行くチョロ松。しかし途中の飲み屋に誘われてしまい、いつまでも帰ってこない。迎えに行ったおそ松・カラ松も同様にそこで飲み始める

・あまりに帰りが遅い兄松達に、家で暴れ狂っていた十四松は限界を迎える。弟松が迎えに行くと、そこには酔い潰れて横たわるダヨーンの姿が。ひょんなことから三人はダヨーンの体内に入ってしまう

・ダヨーンの体内は全員同じ顔をした民族が暮らす国になっていた。弟松はそこで、ダヨーン族の娘と結婚しようとしているチョロ松を発見する

・現実に戻りたくないとごねる兄松。しかしそれを見たダヨーン族の後押しによって、六つ子は揃ってダヨーンの体内から脱出する

 骨組みにまとめるのさえ割と難しいぎゅうぎゅう詰めの話でした。ダヨーンが出てくる回は大体私の思考回路がショート寸前なのですが、今回はちょっと頑張ってみようと思います。何せ考えたいことや気になることが多いから。先に言っておきますが、ダヨーンの体内が国家になっていることに関する考察は一切しません。彼は前々から吸引力の変わらないただ一つのダヨーンであり、吸い込んだものがそのまま体に蓄積されているということが本編で語られますけれど、その辺りに関してはもう「そういうものなんだ」と流しています。いやだって無理くない!?ダヨーンの考察無理くない!?情報がなさすぎる。ちなみにさっきからマイリトルノートパソコンが、体内を胎内と変換するのでちょっと嫌な感じです。カラ松に聖母みを見出してもダヨーンにそれは求めてない。さて、今回のお話。注目するべき点はやはり「六つ子とダヨーン族の対比」と「チョロ松の心情の吐露」だと思います。他にも細かいところをさらっていきつつ、順を追って考えたいです。まずは対比の話から。

 おそ松はダヨーン国家の生活を賛美する際、「何でもあって、誰もニートであることを怒らない」ことを前提条件として述べます。そしてその上で、何故そんな平和な世界を保っていられるのかをこう分析します。「顔も言葉も立場も同じだからこそ、穏やかさと安心感がある」……これ、似たような世界、ありますよね。まんま、六つ子の世界ですよね。全員童貞ニートで一卵性ですよね。条件としてはダヨーン族と全く同じなのに、しかし六つ子には穏やかさも安心感もない。この対比は面白いなと思いました。ダヨーン族は皆良い奴で平和に暮らしているのに、六つ子は灯油一つで争っている。足の引っ張り合いだってするし、兄弟喧嘩もざらです。どうしてだろう。おそ松のこの台詞、六つ子がずっと六人で狭い箱庭の中にうずくまっていれば幸せだとでも言いたげな、そんな闇を感じてしまいます。だって安寧の条件に顔の同一性まで持ち出してくるんですよ。ドッペルゲンガーは三人いるなんて話を聞きますけれど、この世の中に同じ顔の人間なんてそういません。そんな中でおそ松はそれを言った。六つ子なんて五人の敵がいるだけ、一人っ子になりたいと駄々を捏ねていたくせに、一方でおそ松は松代のアダムの代わりでいる生活を求めている。それはニートであることの免罪符(自分一人だけより、兄弟揃っていた方が罪悪感も少ない)なのかしら。私はAパートの感想で六つ子の成長の話をしましたけれど、わざと、おそ松だけは書きませんでした。何故ならあいつだけはそれらしい大人を演じることなく、公式の言う通り「小学六年生メンタルのまま」育ってしまったからです。あるいは、育ってしまったように見せているから。おそ松はこれまでのお話で、駄々を捏ねて子供っぽく振る舞う場面と、長兄らしい思慮深い一面を見せる場面とがありました。でもこれだけ長く続いてきた中で、おそ松の本音が語られたのは2話と18話だけな気がします。それも悩みとか苦しみの吐露ではなく、愚痴。「これが不満なんだけどどうしようもなくてやんなっちゃうわ」これがおそ松の数少ない本音の語り口です。本音と言っても、それは人に聞かせる為に手を入れて繕ったものです。こうやって考えると、ろくずっぽ内面を晒すことなく兄弟間での政権を握り、しかしそれが回帰と成長に伴って失脚し始めているおそ松が、「同じ顔であること」に言及するのは何だか怖いし悲しい。まるで失われた権力を、取り戻したいと縋っているような感じがします。

 そして次の話題に続きますが、それに対してはっきり悩みを打ち明けたのがチョロ松でした。思いの丈を人に言える、自己完結していない感情をぶちまけられるのはそれだけで強みです。弱さの吐露をすることは、存外勇気のいることなわけですし。チョロ松はしきりに帰ろうと説得し結婚に反対するトド松に、とうとう涙ながらに吐き出してしまいます。「ホントは外の世界で就職してちゃんとした人間になりたい。でも何やっても続かないし就活もやってるアピールばっかり。こんなクズな僕はもう、ここでダヨーンになるしかないんだ」ライジングだと馬鹿にされて、散々自分の底の浅さを見せつけられて、きっとチョロ松は傷ついたことでしょう。就職して大人になりたい、でもどうすればいいかわからない、形だけは入ってみるけど続かないし、もういつまでもこんな生活出来ないんだから。だったらいっそ、心優しい化け物の娘と異類婚を果たした方がいい。何かごめんなチョロ松、私ずっとお前にきつく当たってしまっていたよ。お前なりに考えてはいたんだな。これに対してトド松は冷静に「いやダヨーンになるしかないことはない」とフォローを入れますが、チョロ松がこうして兄弟の前で弱音を吐くことが出来たのはすごくよかったと思います。彼が本当に悩んでいることが分かったからには、ライジングだなんて軽々しく言えませんからね……。そしてダヨーン族の娘は、そんな彼らの背を押す為にあえて突き放します。涙ながらに別れを惜しむ一族。ダヨーンの真似をする数字松も可愛かったですね。そして六つ子は舟を漕ぎ、ダヨーンの校門から外の世界へ戻るのでした……全員クソ松、とんだアウトレイジです。船でってところがまたノアの箱舟感あっていいですね。ノアの箱舟だとするとダヨーン族の国は滅ぶことになっちゃいますけど、あそこにいたらチョロ松達に未来がなかった(あるのはただ平穏な停滞だけです。そしてそこでチョロ松はただ諦めたことだけを背負って生きていくことになる)と思うと、あながちそれでも間違っていないのかもしれない。カラ松が異類婚の末に愛の在り方を学んだように、チョロ松もまた異類婚(未遂)を経てきっと何かを学んだんじゃないかなと思います。そしてそれは戻った先の文字通りクソッタレの世界でも、きっと何かの役に立つ。……ていうか24話を見た後だから余計そう思ってしまう。

 話とは何の関係もないですが、下戸のチョロ松とか助ける気ゼロのカラ松とか次男に相談するおそ松とか、異世界を楽しむ弟松とかセクハラする数字松とか、笑いどころも可愛いところも沢山あったお話でした。トド松のツッコミすごく好きだ……

 次回の感想を書くの、めちゃくちゃこわいです。正直ここしばらくのお話は情報過多すぎて書いてるうちに書きたかった別のトピックを忘れるとかしょっちゅうやります。書ききれなかった分とかはまとまったらまた別の機会に書くかもしれません、何を忘れたのかももう忘れてるんですけど!