群青の隘路に

喚き散らかす

正しさはいつだって人の眼には残酷に映る

 「正論は正しいが正論を武器にする奴は正しくない。」

 『図書館戦争』シリーズの登場人物・堂上篤が言った言葉です。美しい思想だと思う。正しいことというのは常々強くて鋭いものであり、ゆえに時としてそれは人を抉る武器となり得ます。正しさを傷つけるために用いるのは正しくないという言い分、彼らしい真っ直ぐな言葉だと思います。

 『おそ松さん』20話の感想です。今回は正直考察らしい考察は何もしていません。毎回大したことは考えていないのですけれど、とりわけ今回は本当に、本編で語られた通りだなあという印象です。

 20話は三部構成になっていて、簡単に骨組みをさらうとこのような形になります。

 Aパート「教えてハタ坊」:ある日突然社員から見捨てられるハタ坊。しかし彼はそんな元部下達に「友達じゃないから別にいい」と吐き捨て、肉料理をメインにしたワゴン商売を始める。六つ子の行く先々で現れるハタ坊の料理はどれも絶品で、しかし材料となった肉の正体に触れようとすると彼は黙ってしまう。結果として再び巨万の富を得たハタ坊に沢山の肉料理を振る舞われた六つ子は、「だからこれは何の肉なの!?」と恐怖する

 Bパート「スクール松」:ヤンキー学校に通う六つ子達。彼らはそれぞれマウントを取り合おうといがみあうが、次々上の立場の者が現れて委縮してしまう。ラストはスケ番であるトト子にひれ伏し、六つ子の中では最も強いと目された十四松は彼女のボディーブローによって肉体を飛散させられてしまう

 Cパート「イヤミの学校」:インチキなお笑い養成所で小銭を稼ぐイヤミとチビ太。そこに六つ子が現れて、イヤミの授業を受けることになる。厳しいながらも身になる話に六つ子は次第に傾倒し、素直にイヤミを師と仰ぎ始める。しかしイヤミは実際ステージでは何も出来ない男だった。呆然とする六つ子にチビ太は「出来ねば目指すな」と一喝。後日お笑いを諦めた六つ子は声優を目指そうとするが、そこで講師を務めていたトト子にも厳しい指導をされて終わる

 この三つのお話、特にA・Cパートに顕著なのが、「正しいということは残酷なことである」というテーマだと感じます。そしてBパートはそれの反証というか、「社会通念上正しいとされることを覆そうとする話」なのかしら、と思ったり。順番に考えていきたいと思います。

 まずAパート。ハタ坊の新しい部下に一切女がいないことなどからも鑑みて、彼が料理に使った肉はもしかしたら裏切った社員の人肉なのではないかしら、と思います。裏切られたことに傷付くでもなく、むしろそれを報いとばかりに新たな商売に利用する。これだけ書くとハタ坊が血も涙もない残酷な人間に思えますが、(人を食肉加工する辺りの残忍な行為はギャグアニメのご愛敬として置いておいて)裏切った相手を「友達じゃないから別に(どうなっても)いい」という発言それ自体は、とても正しいと思います。ハタ坊は久しく会っていなかった友人の六つ子を誕生日会に呼び、金を無条件にプレゼントしようとし、社員にしてほしいという頼みも快く承諾しました。またイヤミが競馬で勝てるようお百度参りにも行きます。6話から分かる通り、彼はとても友情に篤いタイプです。12話では女の子相手に金をばらまいて豪遊していましたが、六つ子やイヤミの横っ面を札束で叩くような真似はしなかった。ハタ坊が一番大切にしているものは不変の友情であり、そしてそれ以外の、金でどうとでもなる相手はどうでもいいと思っているのです。ハタ坊は金銭に付随して出来た後付けの人間関係を別段何とも思っていません。自分が大事にしたいのは、幼少期からずっと共に生きてきた友人達だけ。だから金で繋がっていたお前達は友達ではないから、裏切ろうがどうなろうが別にいいじょ。残酷に見えますね。だけど私はとても正しいと思う。

 例え話として、他の作品の話をします。『Fate/zero』の主人公・衛宮切嗣は、世界平和を願ったばかりに「世界を平和にするには自分以外の人間を皆殺しにするしかない」という方法を提示されます。当然そんなことなど望んでいなかった切嗣は、暴走を始める聖杯(何でも願いを叶えてくれる闇のアイテムです。これを巡って彼らは戦っていました)を破壊。自らの妻を殺害し、婿養子として入った家を裏切ることとなります。そんな彼の生き様は時系列上続きとなる作品『Fate/staynight』において、彼の裏切りによって凄惨な幼少期を過ごした実子・イリヤスフィールの口から「見ず知らずの他人の為に、一番大切な人を捨てるの」と語られます。普遍的な人々の幸福を願う為には、己やそれに近い大切な存在を犠牲にしなければならないこともあるのです。これは幸福でしょうか? 人類皆の平和と幸福を祈るというものが、そもそも論理として破綻しています。誰かの不幸によって幸福を得る人間がいる時点で、人類皆の幸福など望めるはずがない。必ずどこかで争いは起きる。切嗣は災害孤児を養子(この子が『Fate/staynight』の主人公・衛宮士郎です)に取って穏やかに息を引き取りますが、残された実子のイリヤは幸福ではなかった。彼は正義の味方には終ぞなれなかったし、人類の幸福を得ることも叶わなかった。

 こうしたことを思えば、己の幸福の為にその他を躊躇いもなく切り捨てるハタ坊の態度は、人間として許されて至極当然な振る舞いであると言えます。やっと松の話に戻ってこれた。守りたいものや大切にしたいものを定め、その中に入らないものは徹底的に排斥する。ハタ坊のそうした態度と、そして排斥した者の行方には口を閉ざす良識によって、「正体の分からない肉を食べさせられる」という六つ子の恐怖は完成します。カニバリズム的要素の可否は置いておくにしても、私はハタ坊のそうした思想は正しいと思います。正しいがゆえに残酷で、そして恐ろしい。知らぬが花ということわざがあります。残酷な真実は知らないでいた方が幸せなこともある。ましてや六つ子は、己の人生にさえ向き合うことを拒否している存在ですからね。ハタ坊はつくづく優しい人間です。

 ところで上記とは一切何の関係もないのですけれど、カラ松(成人男性)のあの恰好はどうしちゃったんですかね。モブおじさんに犯されないか凄く心配で私のイマジナリーチ〇コが痛いです。何なのあの太腿! 何をとは言いませんけど挟んでほしい、ナニを。あの場で素直に「凍え死にそうだ」と言ってくれた辺り、いよいよ彼は演技ではなく「カッコいいと思う自分の振る舞い」としてあのキャラになろうとしているのだなと思います。演じるには演じているのだけれど、こう、繕うためではなくマナーやエチケット的な、なりたい自分になるための心がけというか。咀嚼が可愛いしどんどんロリみ増してるねからまちゅ~~! 『おそ松くん』時代に回帰かな~~!

 飛ばしてCパート。これはもう正直何も語ることがありません。イヤミの言う一つ一つの厳しい正論は六つ子の胸も、何か創作的なことを目指している視聴者の胸も抉ったと思います。私も抉られました。なんて酷いことを言うんだ、傷付いたに決まってる。六つ子達は言いましたね。それはそれが反論しようのない正論だからであり、そしてその正論が刺さるくらいには心当たりがあるからなんですよ。そしてチビ太の「出来ねば目指すな」も、トト子ちゃんの「プロなめてんじゃねえ」も。何だか私はこの話が、制作陣からの魂の叫びのように思えました。プロと呼ばれる人間が苦汁を舐めながらここまでやってきている。アンチがいることも分かっている。この作品を、生半可な気持ちでは作っていない。そんなメッセージを強く感じました。し、凄く励まされた。というかダヨーン相談室でも思いましたけど、制作陣の裏話めいたものを本編で出されると、どうにもまた痛いファンがご迷惑をおかけしてしまったのかしら……と恥ずかしくて胃が痛くなります。愛してるぞ公式、めげずに私達を抉り殺してくれ。

 キャラにスポットを当てて考えると、「ニッチな芸」を目指そうとしている一松の一発芸が「ありきたりだけど分かりやすい」ところとか、あれだけ自意識の話をされたチョロ松がまだ「分かっていますよ風のコメントしか出来ない」とか、年中松に思うところはちょっとあったりして。演劇で芽が出なかったカラ松というのも気になる。

 そしてBパート。いやもうカラ松の乳首がピーナッツバター色ということが本編でピックアップされてイマジナリ―精巣爆発するかと思ったんですけど、めっちゃ面白かったですけど、あのパワーバランスだけはいまだによく分かりません。「不真面目であることを競い合っている」彼らの反応を見るに、パワーバランスとしては

チョロ松≦トド松<カラ松=おそ松<一松<十四松<トト子ちゃん

なわけですよね。この「不真面目であること」、現実には大したことをやっていないわけですが、これは先ほども言った通り「正しさへの反証」なのかしらと思います。そしてそれと同時に、この世界における「正しくないこと」は、まんま現実世界への「社会適合性」に置き換えられるのかな、なんて。このクローズZEROさながらの学校において、ヤンキーであることは正義です。つまり周りに恐れられる権力を持つ者こそ、この世界では正義である。この構図を本来の本編世界に戻すのであれば、「一番強い者が一番社会に適合する」のでは。それならトト子ちゃんがヒエラルキーのトップに君臨しているのも頷けますし、兄弟の中では恐れられている十四松を叩きのめすことが出来るのも納得です。十四松はトド松を吸収して力を誇示(=十四松もトド松さながらに振る舞えるという表れでしょうか)しますし、一松の言葉は兄弟に届かない。きっと一松が社会に出たとしても、兄弟はそれをしばらく信じられない。

ただそうすると、トド松の位置がよく分からないな~というのは思います。社会適合性なら相当高いだろうに、どうしてチョロ松相手に「ギリ勝てる」なんだろう。適合性というか、もしかして社会に対するストレス耐久性の強さランキングなんだろうか……? チョロ松は自分のプライドと現実のギャップで潰れるイメージだけど、トッティは周りに気遣いすぎて摩耗していく印象、確かにある。

 

 いつも以上に良く分からない文章になりました。難しかった……。ヤンキー漫画に出てくる女番長とか好きなので(『チキン』の仙道美咲とか)、スケ番トト子ちゃんとかすごく可愛かったし、全体的に見ていて滅茶苦茶楽しい回だったんですけどね……? あ、あとあれ。EDのF6カラ松も雄臭くて素敵でした。ああいう血の気の多そうな雄っぽいキャラを受けにして雌堕ちさせるのが滅茶苦茶好きなタイプの腐女子です。