群青の隘路に

喚き散らかす

十年経っても僕は気狂いを忘れない

 『おそ松さん』19話の感想です。

 

【アバン「しどう 聖澤庄之助さん」】

 まさか本当に聖澤庄之助を主人公にしてくるとは思いませんでした。形式としてはお蔵入りになった1話の冒頭と同じで、モノクロ画面の中で聖澤庄之助が兄弟に重大な知らせを持ってくるところから始まります。喋った! とめちゃくちゃびっくりしましたが、よくよく考えたら聖澤庄之助、7話Bパートで喋ってましたね。上田さんのことはジョジョスピードワゴン役で初めて存じ上げたのですが、その作中での青年と老人の演じ分けといい、その後視聴していた『化物語』シリーズのクチナワ役といい、そして『おそ松さん』のデカパンと聖澤庄之助の兼役といい……つくづく声の幅広い声優さんだなあと感動してしまいました。

 1話同様兄弟の名前を一人一人呼んでいくわけなのですが、多い、多い! 途中から返事をする描写もカットされています。十七つ子って、母体にかかる負担半端じゃないぞ! 同じ顔の聖澤ブラザーズが主役になったことに大喜びするシーン、笑いなしには見られませんでした。その後すぐに「ネタ切れですのでアニメ『聖澤庄之助さん』は今回で終了させて頂きます」とテロップが入る。素直にも程がある、悪ふざけを全力でやる制作陣、もう普通に好きーッ! オープニング映像のキャラクターが全部聖澤庄之助に差し替えられている悪夢とか想像していたので、アバンだけで終わって心底ほっとしました。

 

【Aパート「時代劇おそ松さん」】

 時代劇パロディですね。3話や11話のような、小話詰めの印象を受けました。

「岡っぴきのチビ太」

 岡っ引きとなったチビ太が、川べりで何者かに殺害された聖澤庄之助を発見します。大慌てで街を走り回って事態を知らせに行こうとした彼を、おそ松(はこれどういうポジションなんだ……? 割と上等な着物を着ている印象を受けますし、刀も二振り差している。武士のようだし、もしかして上司なのかも)が偶然見つけて呼び止める。しかしパニックに陥っているのか、チビ太は説明出来ないまま泣き出して終わる、というストーリーです。

 さて、誰が殺したんでしょうねえ? 「即位したばかりの王」を。聖澤庄之助は前回18話で革命の末に即位し、しかしアバンにてその役を引きずり降ろされています。それでもなお息の根を止める必要があったのでしょうか。もう聖澤庄之助は王ではなくなったのに。あそこで死んでいるのは別に誰でもよかったはずなのです。それこそ(カラ松ガールズの一人としてこんなことを言うのは忍びないけれど)8話Aパートのようにカラ松が死体の役でも構わなかったはず。どうしてそれが、聖澤庄之助でなければならなかったのでしょう。どうして、つい最近即位して退位した王でなければならなかったのでしょう。どうしてチビ太は説明出来なかったのでしょう。聖澤庄之助の胸には、刀傷が走っていましたね。さて、誰が殺したのか。少し妄想でもしてみましょうか。

 

「グラサン風来坊」

 チンピラに絡まれているハタ坊、を助けに来たグラサン風来坊ことカラ松。チンピラが顔を見ただけでぴんとくるくらいですから、それなりに有名人なんでしょうか。何でまた坊主頭になってるの? 何で夜なのにグラサンしてるの? (cv.トド松)得意げに笑って見せるのが何とも可愛いです。ロリだな~(推しに対する腐女子の濁った眼差し)囲ってくるチンピラたちに対して長ドス? を抜くカラ松。華麗な剣技を見せますが、しかし彼がバラバラに斬り捨てたのは助けようとしたハタ坊でした。慌てふためくカラ松とチンピラ。そうこうしているうちにカラ松まで切り刻まれ、チンピラは一層慄くことになります。

 カラ松とハタ坊という組み合わせ、私はデリバリーコントで来ると思っていたんですよね。それはこれまでのデリバリーコントをまとめると、以下のようになるからです。

2話アバン→演者:チョロ松・十四松 観客:トド松・カラ松

4話Cパート→演者:トド松・ダヨーン 観客:おそ松

9話アバン→演者:おそ松・一松 観客:ハタ坊

 それぞれ前回の観客が次の演者になっています。この流れでいくなら、六つ子で唯一デリバリーコントに参加していないカラ松と、ハタ坊が次のデリバリーコントをやるだろうと思っていました。演劇部であったことがほのめかされているのに、カラ松だけがやっていないのも何だか不穏ですし。しかしここにきて、この組み合わせでパロディ掌編がなされました。しかも二人とも死ぬというオチで。これはチンピラを観客にした、二人のコントだったのかな、と解釈しています。そして本編ではおそらくもうカラ松はデリバリーコントが出来ない。何故ならカラ松は散々中の人である中村さんにも「出落ち」と称されているくらい、狙った笑いを提供出来ないからです。シナリオがあればあるいは出来るのかもしれませんが、現状常々クールなキャラを「演じている」カラ松が、これ以上何か演技することはおそらくない。演劇部とはいえ学生の部活動です。声がよく通る、演技の上手い子はもちろんいます。そこから劇団に入ることもあり得る。けれどそれは才能のほかに習練というステップを踏んでいる必要があります。それがない(現状本編でそれらしき姿は描かれていません)カラ松には、「演技の上から重ねて演技をする」だけの技量はきっとないと思います。ゆえに今回の「時代劇パロディ」の中でハタ坊と見せた振る舞いが、彼なりのデリバリーコントなのかな、と感じました。

 ところで先ほどの妄想の話に絡めますけれど、カラ松が持っている武器も、刀ですねえ。

 

「ビビり代官トド松」

 トド松とイヤミのお話。よくある悪代官ネタかと思いきや、トッティ、ここでも現実主義を発揮しています。そしてびっくりするほどイヤミを信用していない! まあ前回のこともありますし、そもそも『おそ松くん』の頃から基本イヤミには痛い目あわされてきているのだろうし、当然なのかなあ。イヤミからの貢物の仔細を細かく追及し、金だと言われてもすぐに嘘だと見抜いてチョロ松を呼ぼうとする。ここにきて呼ぶのがチョロ松なのか……! とちょっと萌えてしまいました。この世界観において六つ子がどういう兄弟設定なのか分かりませんが、「イヤミを論破して追い返す」ために頼るのがチョロ松というのがなんともたまりません。チョロ松、兄弟の中では一二を争うくらい柄が悪いくせに弁が立ちますからね。cv.神谷さんは伊達ではない。あるいは後々の話でチョロ松が忍者として登場するので、それも踏まえての選択だったのでしょうか。一番速く駆けつけてくれそうな兄弟、というか。

 結局中身は爆弾で、トド松もイヤミも爆発するというオチなんですけれども。因果応報とはこのことですね……。

 

「松尾バショ~ン」

 ぶっちゃけ特に何も考察してないよ~ん! デカパンと二人で縁側に涼みながら歌を詠むダヨーン。しかし全部最後に「だよ~ん」がついてしまい、デカパン(河合曽良でしょうか、衣装的に)に「字余り」と突っ込まれるお話。パロディになってもここ二人はホントに仲良しですね。語尾でさえ句の中にカウントしてくれるデカパン、ホントにダヨーンの全部を許容しているのだな、と思ってほっこりします。

 

「忍者シコ松」

 忍者のチョロ松が機敏に屋敷に忍び込みます。目当ては……くのいち・トト子ちゃんの水遁の術用の竹筒。水遁の術とは要するに水の中に忍び、竹筒だけ外に出して呼吸を確保するというものですね。つまりこれは好きな女の子のリコーダーをペロっちゃうあの感じとほぼ同義なわけで……。夕方なのがまた余計にそれっぽいですよね。結局本人に見つかり、シコ松ことチョロ松は涙ながら唸って竹筒を手放せないというお話でした。「またやってる、シコ松!」とトト子ちゃんに言われるということは、かなりの頻度同じことをやっているしバレているということですよね。まさか舐めるだけでは飽き足らずオカズにして抜いてるのかしら……。鞭とか蝋燭とかを用いながら「お前はこんなことばかりに忍術を使って!」と叱るトト子ちゃん。あれ? これ結構典型的な少年漫画展開なのでは……? 本編だったら間違いなく必殺のボディーブローですよね。それを忍術の腕前は認めつつ叱るに留まるとは……。割とチョロ松にとってはハッピーな世界線になっているような気がします。トト子ちゃんに対するセクハラ以外に忍術を用いないということが(少なくともこの話の中では)明かされていますから、彼は武器を手にしても誰かを傷つけることはないのでしょう。

 

「デカパン裁き」

 今回はデカパンメインですね。裁判のお話です。何だかデカパンがちゃんとものを考えている……! とドキドキしてしまいました。二人の女が親権を巡って争うところに、「本当の母親なら子供が痛がるのを見て手を放すだろう」と両側から子供の頬を抓るよう提案するデカパン。部下のチビ太も私も納得です。しかし相手は母子全員ダヨーン。子供は痛がる素振りもなく、どんどん頬を伸ばしていきます。あの、毎回思うんですけど、ダヨーンが何でもあり過ぎてここ二人が絡む話毎度ろくな考察が出来ていません。なんだこれは。母親二人に貧富の差があるように表現されていますけれど、しかしそれもこれといって触れる訳でもないし……何だろうこれ……?

 

「円盤屋敷」

 今回チョロ松は屋敷の住人役ですね。井戸から出てきた幽霊・トド菊は、おもむろに何かを数え始めます。その姿に恐怖しチョロ松は泡を吹く。私も泡を吹くかと思いました。こっちは深夜リアタイ組だぞトッティ顔やめろよ!! しかし途中からそれは恨めしい響きを失い、淡々とした作業になっていきます。彼(彼女?)が数えていたのはAVでした。朝になってもそれは続き、六千枚近く数えたところで一枚ないことに気付いて「どこにやったの!?」と憤慨する。それに付き合ってやっていたチョロ松が「もう一枚くらい良くない?」と呆れるというオチでした。考察らしい考察は何もしていません。何か今回サイバー松が沢山絡んでて可愛いな、と思いました。

 

「十四松太子(仮題)」

 やっと数字松が出てきたと思ったら確実に時代が違う。江戸ではありません。飛鳥まで飛びました。聖徳太子オマージュです。十四松太子が通りすがるのを見た一松と他のモブ(部下でしょうか)は、「十四人が一斉に話しかけても聞き分けられるらしい」という彼の噂を検証すべく、一松を先頭にしてそれを試します。その結果十四松太子は「うるさーーーい!」と激怒、一松を殴ります。他のモブ達に対してもうるさい、うるさいと怒鳴りながら暴行を加えます。十四松無双です。全員を倒したところで十四松は「ふんぬ(=憤怒)!」と言い残してその場を去ります。

 お前がうるさいとか言うんかい、とか、一松が他者とのコミュニケーションを図って率先して動けてる、とか、思うところもあるんですけれど、何より私がかつて小学生・中学生・高校生の頃に感じていたことをそのままやってくれたので笑いが止まりませんでした。いくら「聖徳太子めっちゃすごいめっちゃやばい」みたいな逸話とはいえ、「いや一斉に話しかけんなようるせーよ」は誰しもは感じていたと思います。それをストレートに出されたので兎角面白くて……そうだよねえ、聞き分けられるかどうかはさておいてもうるさいよねえ。あえて考察らしいことをするのであれば、十四松はいよいよ「人に操作されることを拒むことが出来る、それがたとえ兄弟であっても」ということが描かれたのかな、と思います。もっともこれはパロディなので、一松とは兄弟関係になかったかもしれませんが!

 

 さて、総括をしましょうか。最初に話した、「誰が聖澤庄之助を殺したか」。作中で刀を扱うことをはっきり描かれたのはおそ松とカラ松だけです。つまり可能性として、このどちらか二人がやったと見るのが自然でしょう。これ以上の推察は私にも出来ませんが、しかしカラ松が割と名の知れた存在であること、チビ太が事の説明を出来なかった(=おそ松がそのことを知ってどのような反応をするか、視聴者に隠された)ことを鑑みると、やはりおそ松なのかなあ、という気がしています。一応主人公なのにピックアップも少なかったし。

 別に殺したから何だとか、あの時代劇おそ松さんの中でひと悶着起こしたいわけではないです。つまりこの考察もはっきり言ったらするだけ無駄です。けれど私はこの描写が、一度は『聖澤庄之助さん』になってしまったこのアニメが『おそ松さん』として本編に戻っていくために、必要なものだったのではないかと思います。あえて主人公であるおそ松の手で、聖澤庄之助を退ける必要があった。制作陣の都合だけではなく、赤塚先生亡き後を懸命にもがいて生きる彼らの代表の手で、概念として一度聖澤庄之助を殺しておかなければいけなかったのかしら、なんて。

 

【Bパート「じょし松さん」】

 年老いてすっかり「ばば松さん」になったじょし松さん達。某綾小路さんをモデルにしたであろう芸人さんの講演会に行って、彼女達は並んで爆笑します。その後喫茶店に入り、「もう恋愛とかどうでもいい」「男はこりごりだよね」と一人の人間として娯楽を楽しんだ感想の皮肉を吐露。若い頃の失敗談を互いに抉りあいながらも、「まあもう晩年、年相応に、健康さえあれば」とおとなしくなるそぶりをみせます。しかし外を歩く俳優似のイケメンを見つけ、窓に群がってきゃあきゃあはしゃぐ……という、ショートアニメでした。

 正直「女の失敗には常に男が付きまとう」とか、「年甲斐もなく熟女が若い男に色目を使うのはみっともない」とか、その辺りからミソジニーを見出すことも出来るのですが……そんな重箱の隅をつつくようなことは今回しません。何故ならそれ以上に私は、この「じょし松さん」の話にいたく感動したからです。松公式は確かにミソジニーを盛り込んだアニメを作っているけれど、でもそれ以上に、そこに生きる女達をきらきら輝かせて描いている。今回の件でそれを確信しました。

 まず前提として、じょし松さん達の関係性がある種理想的な人間関係である、ということを指摘しておきます。彼女達は察するに小学校・中学校以来の友人であると思いますが、姿を見れば分かる通り、六人それぞれがまったく違う趣味を持っています。高校やそれ以降の生活でどのように分岐したかは分かりませんが、とにかく、彼女達は一人一人それぞれのコミュニティを持っている。違う職場で働き、違う趣味を持ち、六人とは違う仲間もおそらく持っている。六人で会う時とは別の顔というものをきちんと持っている。しかしその上で、彼女達は六人で集まることを選択します。言いたいことを言い合って、それで腹が立って喧嘩になったりもして、けれど最後にはまた集まろうと言い合える関係。それがじょし松さん達の友情です。これを見て「女ってマウント取りあったり喧嘩ばっかりしてて、友情なんてないのかな」って思う人もいるでしょう。けれど私はこれが、理想的な友情であると思います。喧嘩ばかりしてるのがいいというわけではありません。見ているこっちがヒヤヒヤしてしまうくらい本音を出し合って、喧嘩してもなお仲直りして仲良くしていける関係である、ということです。13話で十四子は仲直りの際に言いましたよね、「おばあちゃんになっても一緒にいようね」って。本当にその通りになったんですよ。全く異なるコミュニティに属しているはずの彼女達が、それぞれ一人一人に人生があるはずなのに、それでも六人で老後まで共にあることを選択している。こんなに素晴らしい絆があるでしょうか? おそ子が「会社の金を15億横領してつい最近やっと出所した」としても、カラ子が「職場の若い男を追いかけ回して狸用の罠に捕まった」としても、チョロ子が「俳優にハマったあまり異国へ不法入国して強制送還された」としても、一子が「明らかに偽装したプロフィールの男に騙されて金を巻き上げられた」としても、十四子が「職場でダブル不倫して刃傷沙汰になった」としても、トド子が「32万の浄水器ねずみ講にハマった」としても。それでも彼女達は老後も一緒に過ごしているんですよ。一緒にお笑いを見に行って、喫茶店でお茶してるんですよ。友人として忠告したこともあったでしょう、迷惑を被ったこともあったでしょう。それでもです。それでも彼女達は友達でいたんです。血の繋がりもない赤の他人と、依存のそぶりも見せずに互いの黒歴史を肴に笑える。きっとそんな人間関係は、誰しもが簡単に得られるものではないはずです。そもそも一卵性の兄弟であることに依拠して、足を引っ張りあったり誰かを排斥したりを繰り返しながら、狭い共依存ホモソーシャルを形成してる本編松野クソブラザーズを思えば、じょし松さん達の友情がどれだけ健全であるかは一目瞭然だと思います。赤塚台の女達は輝いている。彼女達は自分の人生に責任と覚悟を持っていて、その上で自分の選んだ道を歩んでいる。この世界の女はきらきらしている。私はそう思いました。だから今回は、「じょし松さん」からミソジニーを見出すことはあえてしません。というかぶっちゃけ(どのくらいの頻度でこの六人が集まっているのかは知りませんが)趣味を一切共有していない小中学校時代の友人達が盛り上がれるネタって、おおよそ恋バナに絞られてくるじゃありませんか。あるいは近況、共通の友人の噂とか。それを捕まえて「男のことしか考えていない!」というのもちょっと乱暴かなと思ったり。女は原始より集落を共同で守る役目を負っていた生き物です。情報共有は最早性のようなものですし、井戸端会議を見下げられる理由もよくよく考えたらそんなないよなあと感じます。

 

【Cパート「チョロ松ライジング」】

 さて本題です。というか19話語ること多すぎ……! 骨組みは以下の通りになります。

・就職して自立することを宣言するチョロ松。並べ立てられる身の程に合わない計画を前に、おそ松とトド松は不快感をあらわにする。外を見るとチョロ松の自意識が可視化されており、高く上がったそれは住民に被害を及ぼしていた

・自意識ライジングを直すために「ナンパに失敗する」ことを提案するトド松。しかしチョロ松はあれこれ女性に難癖をつけてなかなか行動に踏み出せない。そのうちチョロ松の自意識は暴走・肥大化する

・結果としてチョロ松は発狂。段ボールで作ったハリボテの電子機器を携えて、中身のない独り言をトド松の元バイト先のスタバァで延々繰り広げる

 

 ひっどいお話ですねえ、これ。何が酷いって、大きくテーマを分けるなら「自意識の可視化」と「チョロ松の徹底したミソジニー」です。順番に考えていきたいと思います。

 まずは「自意識の可視化」について。身の程知らずな意識高い系の計画をつらつら宣言するチョロ松のくだりで、彼の自意識は目に見える形となって町の空に浮かび上がります。その過程で他の兄弟の自意識も形になって表れるのですが、それぞれ整理すると以下のような姿をしていることが分かります。そしてそれを、本人がどのように扱っているのかも。

おそ松→指先で転がせる程度の小さくて粗末なもの。チョロ松からは「ゴミの塊?」と称されるほどみすぼらしい。しかし本人が自認するように扱いやすい

カラ松→手のひらに収まるほどの水晶玉。滑らかで青く透き通っている。本人が片手で携えている

チョロ松→本編の通り、高く上空に上がってぎらぎら緑色の光を放っている。最終的に肥大化して空を埋め尽くすほどになる。チョロ松の手元から離れている

一松→バスケットボールほどの大きさで、何か獣の毛のようなものが生えている。三本爪痕らしきものが刻まれており、一松はそれを公園の砂場に埋める

十四松→シャボン玉。宇宙まで高く昇っているが、その中にはまた小さな十四松が入っている

トド松→一松よりは小さいがボール大の大きさ。ミラーボールのようにキラキラ輝いているが、自分の手元にある

 自意識とは「自分自身がどうであるか、どう思われているかの意識」を指します。類語として自己意識、自我意識があります(by広辞苑)。つまり自分をどう思っているか、あるいは他者からどのように思われているか、そうしたものをひっくるめたものなのかな、と私は解釈します。その上で、兄弟達の自意識をさらっていきたい。

 まずおそ松。本編で自称したように、「見た目は酷いけど扱いやすい」ものです。彼は「働きたくない、一生養われて暮らしたい」を徹底して公言していますが、しかし必要に迫られれば(ex.10話レンタル彼女)自主的に働くことが出来ます。つまり彼は「カリスマレジェンド人間国宝」になりたいとは思いつつ、だからと言って具体的に努力はしたくないし、努力したくない理由もとことん自己で納得している。自分の現状をもっとも現実的に把握しており、そしてその上で出来ることにしか自信を持たない。作中でもナンパに失敗してなお凛としていましたが、それは彼にとって「失敗すること」も織り込み済みだからです。おそ松にとって結果は必要ないのです。後先を考えない小学生メンタル、といえばその通りですが、この歳になってもなおそれでいられるのはむしろ凄いことだと思います。おそ松には妙なプライドがありません。むしろ刹那主義で今を楽しむことに特化している自分にこそ、おそらく彼は自信を持っている。

 カラ松。彼の自意識は思ったよりも小さく、そして位置もさほど高いところにありません。自分の腰元にあります。相手のことを透かして見えるほどに透明です。こればかりは推し贔屓と思われても仕方ありませんが……カラ松はやはり正道を行く人間なのだなと思いました。彼は見栄やプライドで生きていない。自分に出来るありのままの姿があの「ファッション」であり「演技」であり「フリーハグ」です。私にも抱かせろカラ松金は払うぞ。カラ松は自分のやりたいようにやっていて、そしてそんな自分に酔っています。最早彼の澄んだ世界には彼一人しか必要ないのかもしれない。自己愛で完結しているからこそ、何物も混じらず美しい水晶でいられるのかな、なんて感じたり。とはいえあれの材質が分からないので、もしかしたら脆いガラス玉である可能性も否めないのですけれど。ただ一つ感じたのは、チョロ松が「理想論」として述べたフリーハグを、カラ松は実行出来るだけの度量があるのだなあということです。16話で一松に散々憧れを抱かれていたと明かしたのに、今度は三男にまで憧れられているのかお前は。神か。神なのか。

 チョロ松。本編の通りですよね。自分の手に負えないほど高い場所にあって、なおかつ肥大化して周囲に迷惑をかけている。思えばチョロ松は常識人を自称する割に、2話でも中身のないハリボテの会話をしてハロワ職員に呆れられています。18話で吐露した本音が「認められたい」であったことがここでも生きていて、彼はそんな虚勢と見栄とプライドで出来た理想の自分を周りに宣言せずにはいられないのです。彼は出来る自分を読み違えていて、かつ、そんな自分を認められたくてたまらないのでしょう。

 一松。自意識は兄弟の中で二番目に大きいですが、しかしそれには傷がついている。ふさふさなのといい爪痕といいおそらくは猫モチーフなのでしょうが、彼のナイーブが形になった姿があれなのかなと感じます。やはり『おそ松くん』時代には真面目で粋であった彼があんな卑屈な人間に育った過程には、何かしら傷付いた場面があったということなのでしょう。しかも一松はそれを、近所の公園の砂場に隠している。あの公園、思い出してください。5話でエスパーニャンコと揉めた際、どこにも行く当てがなくて佇んでいた場所ですよね。つまりあそこは一松にとっての拠り所であると解釈していいと思います。きっと幼少期に遊んだであろう、近所の、地元の公園です。自意識を下に下に隠す場所にそこを選んだのは、何か懐古主義的なものを感じてしまいますね。一松の自意識は深く深く、懐かしい思い出の中に潜りたがっているのかもしれません。

 十四松。シャボン玉というのが何とも脆くて危ういところではあるのですが、彼の場合はライジングどころの騒ぎではない。十四松に至っては、誰の目にも触れない宇宙まで昇って行ってしまっています。十四松は最早、見栄もプライドも投げ捨ててしまったのだろうなという印象を受けます。自分自身も見えない場所まで自意識を飛ばしてしまった。さすが17話で自己認識の呪縛から逃れただけのことはあります。しかもそのシャボン玉の中には、十四松の姿があるのです。十四松は己の自意識の中に、確固たる「松野十四松」を確立している。

 トド松。何でスパンコールみたいなぎらぎらなんだ、さてはカラ松のこと好きだな? というのはさておき。もうほとんど本編で語られた通りです。ぎらぎらしていて輝いている自己愛の塊ではあるけれど、きちんと自分の手元にあってそれを受け入れられています。たまに見栄を張ってしまうこともあるけれど、迷惑をかけるとしても身近な人間にしか及びません。トド松は自分のことをおおむね納得しているし、そんな自意識のことも可愛がっています。

 思い返せば、六つ子に平等を強いていたのはチョロ松なんですよね。おそ松が率先して兄弟の抜け駆けを怒ったことはありません。18話で明らかになった「一人っ子になりたい」願望のせいもあるのかもしれませんが……。おそ松はトド松がスタバァでバイトしていた時も「いつの間に努力してやがったのか~」と悔しがるだけで、トド松の意向を汲もうとする姿が見られました。もしトド松が真っ当に自立しようと正攻法を取っていたら、間違いなくトド松はあの家から抜け出せていたと思います。嘘をついたから制裁されていただけで。また14話でトド松のドライな一面を糾弾しましたが、それはトド松が「 自己をきちんと認識出来る人間」であり、やると決めたらきちんとした手筈で進められてしまう人間だと分かっていたからです。ちょっと釘を刺しておかないと本当にいつの間にか抜け出しちゃうんじゃない? という危機感があったから。結果としておそ松は、もうトド松が支配下に置けないことを悟るわけなんですけれど。それに対してチョロ松の宣言に反応しないのは、それが「宣言するだけで満足している」と分かっていたからです。

 チョロ松が兄弟に平等を強いていたのは、まあ民主政治をやっておそ松を王位から退けたかったというのがあるのでしょうが、おそらくそれ以上に自分の自意識が許さなかったからでしょうね。同じ六つ子の兄弟で、他の皆はニートを謳歌していて、自分だけがまともだと思っていた(ていうか自分だけがまともだと思っている時点で既に自己分析出来ていないんですけれど)。なのに他の兄弟が抜け駆けして、ひょいひょいと自立してしまうなんて耐え難い。僕が一番まともなはずなのに。といったところでしょうか。いやあ次のミソジニー話題にも繋がりますけれど、チョロ松の人間性、私かなり業が深いと思う。

 では二つ目のテーマ「チョロ松の徹底したミソジニー」についてです。ナンパする相手を吟味していた時のチョロ松の発言をさらうと、以下のようになります。

・凄い美人→「一軍の人は無理、望み薄すぎる。振られるのわかっててリスク負えない」

・美人ではないけどスタイルがいい→「じゃあモテるでしょ、相手にされないよ」

・普通の人だけどオシャレ→「一番駄目、こっちの劣ってる感が増すだけ」

・そこそこブスだけど性格良さそう→「じゃあ無理でしょ、僕は人間的に同じレベルの人がいいんだから。安心したいし緊張絶対したくないし」

 こんなんおそ松じゃなくたって切れるわ。その場にいたら私だって「縊り殺してやる!」って怒鳴りますよ。だってこれ、要するに、「自分が下に見ることが出来て、自分の所有物になってくれる程度の女でないと声をかけられない」ということですよね。女をジャッジ出来る立場にあると思っていて、ブスのことを下に見て罵るくせに、美人が好きなくせに。なのに所有するのは自分より低レベルな女でなければいけない。自分と同じレベルなんてよく言えましたよね? 自分と同じレベルって要するに「自分がマウントを取れる」という認識であって、つまりそこにあるのは徹底した男尊女卑です。女なんだから同じレベルになれば俺の言うこと聞くよな、ってそういうことです。それはつまり自分が下に見れるレベルの女ってことに相違ありません。その時点で、対等な人間関係でないことは明白です。大体そこまで譲歩したのが「同じレベル」だって言えるくせによくあれだけ意識高い理想論言えたよな。私も別に恋愛経験豊富なわけではないし、むしろチョロ松に近しい部類の人間ですけれど、それにしたってこれは酷いと思う。劣等感を抱かず、安心出来て、緊張もしない相手。そりゃいるでしょう。互いのことを思いやり、尊敬しあう絆があれば、友人だろうと恋人だろうとそういう相手は出来ると思う。というか私には少なくとも女友達であればそう思える相手がいる。恋人は悲しいながらいませんけれど、一対一の関係である以上、互いを尊敬しあえればきっと同じことが言えると思う。でもチョロ松はそれをナンパ、つまり初対面の相手に求めようとしています。それの判断材料は見た目と雰囲気です。対等な関係なんてさらさら築く気ないじゃないですか。スタートの段階からもう女を下に見ていますよね。私が以前の記事で触れた勘違い男のようだ。私は別に夢女子の属性ありませんけれど、万が一チョロ松が現実世界にいたら、絶対に付き合いたくないし結婚もしたくないと思います。こんなメンタルの男と結婚なんかしてみろ、待っているのはモラハラとDVだぞ。腐女子の私は「ゆーておそチョロのチョロ松は良妻賢母だし、チョロ攻めでも可愛い童貞攻め好きだから♡」とか言ってますけれど、いや確かに好きですけれど、考察する私はチョロ松に対してそうは問屋が卸しません。

 最終的にチョロ松は自意識に飲まれて発狂するわけなんですけれど、私、それを見た時に「ああチョロ松は十年前と変わっていないんだな」と思いました。十年前、つまり六つ子が推定12歳であった頃(私は『おそ松さん』の六つ子が22歳くらいのつもりで見ています)。『おそ松くん』の頃のことです。一度チョロ松は自らの策略によっておそ松を死なせてしまった(と思った)時、発狂して40年間体の成長を止めてしまいました。かの有名な「アノニェー」です。19話でチョロ松が最後に繰り返している「クリックでお願いします」、あれだって、電話の向こうに誰もいない独り言である以上アノニェーと変わらないじゃないですか。あいつは自らの自意識に飲まれて発狂しました。見えていない機械を操って、いもしない相手と会話して、ありもしない商談を続けている。正気な顔をしているように見えて、あれはアノニェーの発狂と変わりません。十年前はきっとおそ松に依拠していたからああなったのだろうとは思いますが、今回はきっと己の自意識に依拠した結果なのかなと感じます。自分の存在理由を他者や存在しない理想に託したばかりに、チョロ松は二度も精神を崩壊させてしまったのではないかしら。そう思うと厳しいことを言った手前何ですけれど、ちょっと可哀想な気もして来る。次回予告もラリってたしね。チョロ松には強く生きてほしいと思います。