群青の隘路に

喚き散らかす

死してなお革命を遂げた男

 以前アダルトチルドレン考察を語らった友人が、速度松の対応について、こんなことを言っていました。「速度の対応は王権と民衆。おそ松という王権に対して、視聴者の視点に近いツッコミのチョロ松は民衆になる。その上であいつは、民主政治をやるために革命を起こそうとしているんだ。自分が王になれないことは『おそ松くん』の頃に分かってる。だからあいつは兄弟に平等を強いて、王権転覆を謀ってるんじゃないかな」

 その話を聞いたのが『おそ松さん』10話辺りの頃のこと。私は「おいおい待ってくれマイフレンズ、いくら私が世界史専攻だったとはいえそんな、そんな難しい話が、まさかそんな、ハハハ」と笑っていました。彼女の論や知識量に対し素直に敬意を表してはいましたが、まさかそんな歴史の出来事みたいなことが、ギャグアニメで起こされるのかしらと訝しんでいたのです。

 起こりましたね、革命。『おそ松さん』18話の感想です。

 

 18話の骨組みはシンプルです。共通の友人の結婚式に参加する『じょし松さん』の話もありましたが、それはちょっと置いておきます。常識人のカラ子可愛かったな~という感想くらいしかありません。男のことばっか考えている~とかミソジニー見ようと思えば見れますけれどいやしかしホント可愛い、じょし松さんかわいい。将来自分が結婚出来るようなことがあれば引き出物には気を付けたいと思います。

 「逆襲のイヤミ」の骨組みは以下の通りです。

・『おそ松くん』の頃は主役を食う勢いでメインに登場していたイヤミが、『おそ松さん』では良い目を見ていないことに憤慨。「かつてのおそ松を取り戻す」と、主役を決めるカーレースを開催する

・登場人物達は皆各々の心情を吐露しながら、他者を妨害しつつレースを走る。次第にそれは大量虐殺の様相を露わにし、荒廃した世界でとうとうイヤミ・おそ松の一騎打ちに

・ゴール前で二人は力尽きる。その横を何食わぬ顔で通り抜けてゴールし、主役の座を勝ち取ったのは、聖澤庄之助であった

 話としてはとてもシンプルですよね。人気や主役という言葉に踊らされた登場人物達が、各々の欲望を吐露しながら潰しあう。そしてそのドタバタ劇の中で、誰でもない第三者が優勝をかっさらっていく。私は昭和の生まれではないのでこういうことを言うと知ったかぶっていると思われてしまうかもしれませんが、どことなく昭和っぽいテイストのシュールギャグでした。メタ要素も満載でしたし、今回ももちろんもれなく笑った。しかしこれまで「ギャグ」という枠組みの中であまり見えてこなかったキャラクターの欲望が晒された回なだけに、考えることも多くありました。ラジオではチョロ松役の神谷さんが「考えたらダメなアニメです」とは言っていましたけれどね……。順を追って綴っていきたいと思います。

 まずスタートの段階。皆レースへの意気込みを語るわけですが、カラ松とチョロ松が個人的には気になりました。カラ松は主役になることに意欲的であり、スルーしようとした実況に対しても「この冷たくあしらわれるパターンもなくしてやるからな!」と牙を剥きます。これまでのクールなカッコつけは、正直もう見る影もありません。クールぶりが「取り繕った演技である」ことを、もう隠しもしていませんでした。冒頭で話した友人は、『おそ松さん』は『おそ松くん』に回帰しようとしているのでは、ということを考察として述べていましたが、確かにこのカラ松を見るとその意見にも納得出来る。カラ松は回を追うごとに感情表現が豊かになってきていて、そしてそれはおそらく演じていない素の彼の姿です。カラ松はカッコつけであることから、くん時代の、頭の空っぽな空元気の凶犬に戻りつつあるのかもしれない。またチョロ松。チョロ松はこの期に及んでもまだキレッキレのミソジニー丸出しでしたね。最高に興奮しました。「主役になってトト子ちゃんと結婚!」 って、腰を振るのをやめなさい童貞。ヒロインが「主役である男のトロフィーでしかない」という思想、相変わらずのミソジニーで逆になんか安心しました。当のトト子ちゃんが六つ子全員ぶっ殺す勢いのマシンを持ってきたのが余計に面白かった。

 レースが始まって(言いだしっぺのイヤミはダヨーン・デカパンの妨害によって早々にマシンを失っています)先頭はチビ太と六つ子になります。おそ松は「俺には勝てても俺達には勝てねえんだよ! 子供の頃からそうだったもんなァ!」と、チビ太を追いながら弟達を招集する。ホント数の暴力。ホントクズ。子供の頃からそうやってチビ太のこといじめてたんだもんな松野家のクソ兄弟は。そしてその長男たるおそ松は、「前を走る敵をやっちまえ!」と命令します。弟達は一斉に甲羅をかかげ、それを、おそ松にぶつけました。スピンして脇道に逸れたおそ松は後続車に轢かれ、イヤミにも爆殺されてリタイアすることとなります。「おめえら全員皆殺しだ」と言いかけた科白の虚しさよ。

 革命です。革命が起こりました。弟達は王権を転覆しました。

 チョロ松「お前だよ馬鹿野郎一番の敵は!」カラ松「これでクソ政権にピリオド」一松「お疲れ様でした」トド松「ばいばーいおそ松兄さん」十四松「一番速いのは僕!」真っ先に長男をジェノサイド、松野クソブラザーズ(声に出して読みたい日本語)。考えてみれば自然な流れですよね。既に六つ子の枠から超越して今回のレースの趣旨も分かっていない十四松は除きますが、後の弟達には長男に対して憎しみがある。色々憂き目にあわせられてきましたからね。私が気になったのはここでもカラ松でした。これはもう推し贔屓みたいなものですすみません。私は彼が2話でおそ松を殴ったこと・しかし弟達にはこれといった危害を率先して加えないことを鑑みて、「長男にだけは素直になれる」と思っていました。しかし違ったのかもしれない。もしかしたらそうではなくて、単純にカラ松はおそ松を憎んでいたのではないかと思いました。弟達に乱暴をしないのは、弟達がカラ松に対して相応に敬意を持っているからです。思い返せば弟達はカラ松を冷たくあしらいますけれど、一応気にかけているような深層心理はあります。チョロ松は有事の時には「カラ松兄さん!」と零しますし、一松は16話Bパートの一件がある。十四松は共に歌ったりパチンコ行ったりする仲ですし、トド松は兄弟の中で一番カラ松に構っている。おそ松だけです、心からカラ松を軽んじていたのは。相談しても流されて、傍若無人に振る舞われて……凶犬に戻りつつあるカラ松は、そんなおそ松を容赦なく攻撃した。「クソ政権」とまで言った。17話感想で十四松が滅私奉公ではなく自分本位であるという話はしましたが、カラ松もまた、回を追うごとに自分本位な面が出てきている。もしかしたら16話で一松を庇ったのも、「おそ松がいたら真相を一松から聞き出せないかもしれない」という算段があったからかもしれません。『おそ松さん』は二クール目に入ってからは特にずっと、語り手が騙っているような気がしますから(「一松事変」は一松の眼から見た出来事であるためカラ松が聖母のように描かれていますが、カラ松から見た実際のところは誰も分からないのです。物語の全貌は常に語られない)。私の中の腐女子が泣いている。おそカラも一カラも仲良くしてと泣いている。

 とはいえそんなカラ松もあっさり一松にコースアウトさせられて脱落、チョロ松に「二番目のクズは死んだ!」とまで言われるんですけれどね。トド松は「革命が起きたね!」と言いました。上二人がクズなせいでチョロ松が苦労した、と。そういえば長兄松は率先して「働きたくない」「遊んで暮らしたい」と発言していましたね。(一応)就活する気のあるチョロ松、猫カフェに面接に行ったりブラック工場で班長になれる処世術を持つ一松、スタバァでのバイト経験もあるトド松……彼らからすると、低いところへ引きずりおろそうとして来る長兄二人が妨げであったということなのでしょうか。確かに18話まで見ていると、弟達は比較的社会に出ていける感じありますものね。14話でおそ松は一松の機微に対し「社会に出てもやって行けんじゃない?」と褒めましたけれど、よく考えたら社会に出る気のない奴が何を言っているんだって話ですよね。おそ松は一松を鉄砲玉にして養ってもらう気でいたのでしょうか。16話がなければワンチャンあったかもしれませんね。とはいえ一松はチョロ松の息もかかっていますから、そして社会的にはまだチョロ松の方が見込みがありますから、この場において一松がチョロ松の味方に付くのは自然なことです。彼は自分が主役になることを望んでいません。チョロ松が矢面に立ってくれて、自分の働きを保証してくれるのであれば、それ以上希望通りなこともないでしょう。トド松がどういうつもりでチョロ松をヨイショしたのかは分かりませんが、主役という立場につかせていれば自分の抜け駆けも見逃してくれる、くらいの判断はしていたような気がします。というかトド松は人心掌握のエキスパートですから、その場において強い者に従属するのはなんら不自然もないか。

 弟達に励まされたチョロ松は「主役になってもいいかなあ」と淡い夢を見ます。くん時代に恐怖政治を強いたがために失敗して、王になれないと悟ったはずなのに。本当はチョロ松だって王様になりたかった、おそ松兄さんが羨ましかったということなのでしょうか。しかしそこにみんなのアイドル、トト子ちゃんが登場します。彼女もまた主役を狙う一人です。このシーンの年中松もまた考えさせてきましたね。規制音が入るくらいの罵詈雑言を浴びせられてもなお、一松もチョロ松もトト子ちゃんのことを「可愛すぎる」「超絶可愛い」と絶賛します。それだけめろめろになれる女神様を相手に、しかし主役の座を譲ろうとはしない。これも六つ子の中のミソジニーなのかなあ。どんなに可愛くてもヒロインは主役が持つべきアクセサリーであり、いくらトト子ちゃん相手でも主役の座は譲れない、主役の座を譲ったらトト子ちゃんを手に入れられなくなるから。チョロ松はF6顔になってトト子ちゃんを牽制しますが失敗し、一松は全裸になってやっとトト子ちゃんを追い払うことになります。捨て身ですよね。主役が嫌だと言うならトト子ちゃんを主役にしたって構わないのに、一松は可愛すぎる女神を追い払う手段を取った。そして自分が先頭であると悟った途端、荷が重い! と叫んで身を投げることになります。一松は兄弟の中から主役を出さずにはいられないのです。何故なら一松にとって兄弟は5話で吐露した通り「友達がいなくてもいい理由」であり、自分を自分のまま置いていてくれる存在だから。兄弟の誰かが王様になっていてくれないと、兄弟の中の誰かがそうした政治をやってくれないと、自分は生きていけないからです。

 さて、話を少し飛ばします。レースはその後イヤミが巻き返し、殺戮兵器を用いて世界を荒廃させます。「ミーが主役なら他の人間は要らない」からです。しかしそこに生き残ったおそ松が登場、イヤミの非道な行動に対し「全員殺すの面倒だと思ってたんだよね、ナイス! あとはお前を倒すだけだ」と言います。とんだクズだよ。おそ松はこれまでずっといいお兄ちゃんをやってきていて、長男であることを強調していて、だからこそ忘れていたんですよね。あいつ2話で、実質的な初回で、「俺だって一人っ子がよかった」って言ったんですよ。「六つ子ってのは五人の敵がいることだから」って。それをあいつはまだ忘れてなかったんですよ。兄弟に嫌われるようなことをして、憎まれて、……もしそれが、全部一人になるための計算だったとしたら? ぞっとします。十四松がどこか遠い存在になっていることを笑い飛ばし、カラ松がどんな目に遭っていようと「面白いからそのままでいい」と軽んじ、チョロ松のプライドを傷つけて対立し、一松の地雷を踏み、トド松の外交を「冷めてるね」と糾弾する。そんな長男が、言ったんですよ。俺が主役になるためにはお前ら全員皆殺しだって。ヒェ。

 ただ私がそれ以上に怖かったのは、そうした荒廃した世界で蘇った脱落者達が、六つ子が、次々口にした本音です。

 おそ松・カラ松「モテたい」チョロ松「認められたい」一松「褒められたい」トド松「注目されたい」誰かを鈍器で殴り殺しながら吐き出した、正真正銘の言葉です。長兄のそれはつまりは愛されたいという欲求に他ならないし、年中のそれは承認欲求です。末弟のその言葉は、これまでずっと末っ子として周りにあわせて生きてきた分の悲鳴でしょうか。私は愕然としました。六つ子という時点で彼らは特別な存在であり、幼少期には周囲の人間からさぞちやほやされてきたことと思います。2話でもイヤミが「ちやほやされてきたせいでとんだモンスターに育った」と言っていました。けれど同時に同じ2話で、おそ松は言いましたよね。「服をダースで買われるのが嫌だ、アイデンティティ崩壊する」と。六つ子は六つ子であるが故に愛され、しかし個々の性質は重要視されてこなかった。六つ子であるというだけで愛されて、そこには一人一人の人間がいるのに、それを愛されては来なかった。親にさえ、です。全部ひとくくりにされてきた。自分という存在が六分の一であることを思い知らされてきた。それが思春期の間にどれだけ承認欲求を歪ませたか。無理もありません。彼らがアダルトチルドレンであるということも加味するのであれば、その魂の叫びは尚更笑えるものではない。お兄ちゃんなんだからと政治をやらされていたおそ松と、次兄というどっちつかずな立場の中で軽視されてきたカラ松。彼らが愛してくれと訴えるのは自然です。王様になれないと悟り、上二人の分まで調整役をやっていた、それが当たり前のように振る舞わされてきたイネイブラー・チョロ松。認めてくれと訴えるのは当然です。どんなに卑屈になって鬱屈したって、根は真面目なままのナイーブな一松。表立つことは出来なくても、上手く出来たことを褒めてほしいと願って何が悪いのでしょう。そしてただ愛玩されるマスコットであり、周囲の空気に溶け込むことを長所としてきたトド松。彼が注目されたいと思うのは当然です。とどのつまりのトド松。彼はいつも六つ子の最後尾にいた。俺を見てくれ、俺を認めて、褒めて、愛してくれ。ねえ、これって、まんまアダルトチルドレンの叫びではありませんか?

 そしてラスト。皆が力尽きた中で、ピエロである十四松だけが労わりながら片付けをする。十四松はもう箱庭から出た人間です。9話で彼女の乗る電車を追いかけて走ったあの時に、「誰しもが自分の人生においては主役」だと悟ったのでしょう。電車を追いかけるなんて、今時ドラマでも見やしません。彼はレースにも参加せず、野球選手をグラウンドへ送り届けて「今日はあなたが主役です」と励ましている。十四松はもう松野家、ひいては赤塚台という狭い世界での主役には固執していない。彼は彼の人生において主役であることを自認している。17話の「十四松と概念」を経て、十四松だけが、呪縛から逃れたような気がしています。結果的にイヤミとおそ松が最後まで粘りますが、しかしその横でゴールをかっさらったのは聖澤庄之助でした。

 2話でチョロ松がもたらした、聖澤庄之助が王になった! チョロ松の革命は完遂されたのです!

 そこにチョロ松の姿はもうないけれど。

 

 新たな王の生誕を喜んだのは有象無象の群衆と、自身もまた主役であると分かっている十四松だけでした。チョロ松は王になれなかった。右腕にもなれなかった。認められたいという切実な子供の泣き声を残して、屍の山の中へ放り込まれたのです。革命は成功しました。チョロ松が用意した家宝が王の座に就くという、民主政治として最高の形で成し遂げられました。ただそこに、その功労者の姿はありません。革命に殉じたと栄誉を称える者もいません。

 次回からどうなっちゃうんでしょうね。何事もなかったように進むのかな、それともちゃんと主役奪還回があるのかな。怖いけれど楽しみです。私いい加減別件の原稿しなきゃいけないんだけど。松に踊らされていてつら楽しいです。