群青の隘路に

喚き散らかす

『おそ松さん』の女と「オンナ」

 ぷらいべったに上げていた文章をお引っ越ししました。

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0.はじめに

 この文章は2015年10月より放送しているアニメ『おそ松さん』について、好き勝手に考察とこじつけをこねくり回したものです。論文と銘打っておきながら別段明確な結論も出さず、ただ「こんな側面があるのでは、と思って見るとまた面白いかもね」程度の思いつきで書き殴ったものになります。先人様の意見を踏まえている点も多々あります。

 今回は2クール目第1話(=13話)を視聴した上で感じたことを中心に、『おそ松さん』における女性の描かれ方、あの赤塚台における「オンナ」達について考えていきたいと思います。話題の中心になるのは13話ですが、2016年1月17日現在の私が視聴している1~14話からも、関連する項目を多々引っ張ろうと思っています。今回の論文の主なキーワードは「ミソジニー」と「松野家の狭い世界」です。どうぞ暇潰し程度にお楽しみください。

 

1.『おそ松さん』とミソジニー

 さて、それでは本題に入っていきたいと思います。が、前口上として、今回扱う13話の話を簡単に振り返ってみたいと思います。この13話、新年一発目の『おそ松さん』だったわけなのですが、これが随分また物議を醸したらしいですね。私は当事者でもなければリアルタイムでその論争を見ていたわけでもないのですが、いわく「ポリティカル・コレクトネス配慮の有無」について大層揉めたそうで。別段私はそれに関して苦言を呈したいわけではありません。作品をどう受け取るかは個人の自由です。単にそれくらい『おそ松さん』が幅広い視点で周知されている事実を象徴するため、そしてそうした物議がこの文章を書くきっかけになってため、あえてこの話題に触れています。あしからず。

 ポリティカル・コレクトネス、一般にPCと略されることの多いこの言葉ですが、これは端的に説明すると「他者に対し人種・性別・性的嗜好・身体障害エトセトラへの配慮と寛容さを示す考え方」を指します。政治的妥当性、政治的公正さなどと訳されることが多いようです。「差別的表現に対する考え方」、という認識でいいと個人的には思います。私自身この論争に触れるまで、この言葉を知りませんでした。ゆえにもしかしたら間違った覚え方をしているかもしれません。少なくともこの文章の中では、そういう解釈の下に話を続けます。

 さて、ではその差別的表現に対して配慮が出来ていたかいなかったか、揉める原因となった13話の骨組みを説明します。今回は3パートに分かれていて、

A:冴えない四十前の独身男の弱者的生活・狂気を描く『実松さん』

B:六つ子のパラレルと思しきアラサー女子による赤裸々トーク『じょし松さん』

C:六つ子の日常、自慰行為の目撃をきっかけに兄弟が喧嘩する『事故?』

の三本で構成されていました。とりわけABパートについて、「これはPC配慮に欠ける!」という意見が出たようですね。では、何について配慮されていないと解釈されたのか。女性です。この話で、『おそ松さん』における「ミソジニー表現」に傷付いたという視聴者が一定数いたようです。ずっと我慢して見ていたけれど13話でついに声を上げた、という人も少なくなかったように見受けられました。

 ミソジニーとは女性嫌悪女性差別の思想のことを指します。13話Aパートでは実松さんが痴漢冤罪を疑われるシーンがあったり、Bパートでは公式女体化?と目された六つ子似の女子達の描かれ方や、「女の敵は女」と言わせるシーンがあったりしたことに、ミソジニーを感じたという人が多かったそうです。私自身はそのどちらも突き刺さらなくて、傷付きもしなければただ笑っていただけなのですが、ミソジニーという点において『おそ松さん』を見るのであれば、なるほど確かにそうした女性差別的表現は多々あるように感じます。正直この文章を書くきっかけになったのは痴漢冤罪でも女子会でもなく、Cパートにおける「松野家兄弟にとってのエロ本の扱い」だったのですが、それについては次項で詳しく触れたいのでひとまず置いておきます。

 それではここで、私の思う『おそ松さん』ミソジニー表現がどこだったか、簡単に振り返ってみたいと思います。これはあくまで私の主観で、「そういう意識で見るのであれば」とややこじつけ気味に選出したシーンも多々あります。何故なら私はおそらくミソジニーを内包している傾向があるため、そうした視点で批判することに疎いからです。ミソジニーに対して鈍感であるゆえに、解釈を履き違えている可能性もあります。実際、私はこれだけ場面を選出しておきながら、そのどれにも傷付きませんでした。ギャグアニメとして笑っていました。

 余談なのですが、私の創作テーマの一つには「女帝信仰」というものがあります。これは作中に「絶対的な美女であることが前提」であり、「その美貌とそれを裏切らない才覚を担保に、どんな横暴な振る舞いをしても許される」女を女帝として登場させることを指します。しかもこの女帝はおおよそ理解されない遠いものと忌避されて人形のような扱いを受けるか、自らの振る舞いから狂信者を生み出して(そしてそれはおおよそ決まって冴えない女主人公です)、精神的優位を逆転されたりします。女性を蔑むつもりで登場させているわけではないのですが、「美しい女を偶像にする」という点において、ミソジニーを指摘されても否定が出来ません。それを踏まえた上で、私なりに選出したシーンを見ていきたいと思います。ちなみに執筆に際して見返したわけではなく、覚えている範囲のものなので、抜けている点も多少あるかもしれません。

1話:カラ松に壁ドンされるモブ女子生徒

2話:チョロ松「テメーの爪の色なんか興味なさ過ぎてケツ毛燃えるわブス」

   にゃーちゃんにセクハラ発言をかますおそ松

橋の上でカラ松にチラ見され、都合よく妄想されるサチコとアイダ(後にスタバァ店員として登場)

7話:合コンに誘われたトド松「ワンランク上の人間になれたんだ」

   目の前で一松に脱糞されかけるモブ女子

   ヒッチハイクするモブ女子、デカパンとダヨーンの荷物を盗むおばさん

8話:首を吊られて殺害されたトト子ちゃんのスカートを覗くおそ松

9話:AV女優の扱われ方

10話:レンタル彼女という概念と六つ子の暴走

11話:ハタ坊(=金)に跪いて群がる女達

13話:痴漢冤罪

   女になったパラレル六つ子の描かれ方

 ひとまずこんなところでしょうか。これらに共通して言えることは、「女は男を引き立てるためのアクセサリーである」という言説です。1話のカラ松は「今流行りのアニメ」の体裁を守るためにモブ女子生徒に壁ドンをします。この時点でまあミソジニーは何も『おそ松さん』だけの問題ではないということも分かるのですが、このシーン、普通に考えたらセクハラです。カラ松がイケメンのアイドルであり、おそらくあの女子もファンであったから波風が立たなかっただけ。「カッコいい王子様のカラ松」を表現するための壁ドンなわけですが、現実問題いきなり男性に壁際まで追いやられキスされそうになったら(しかもそのあと思いきり目の前でゲロ吐かれるしね!)引きます。一歩間違ったら痴漢扱いで警察沙汰です。ギャグアニメに現実のことを持ち込むなよ、と思われるかもしれませんが、だったらそもそもミソジニー見出した話など最初からしていないわけで、元も子もないので置いておいてください。2話でもカラ松はちらちら女の子を覗き見ては妄想に耽っていますが、これも十分不審者ですよね。この回ではチョロ松も女性に対して苦言を漏らしている。Facebookに新しいネイルのことを投稿する、「自分のうきうきを周りに共有しようとする女子」を一刀両断しています。ブス、とまで言って。爪の話をしているのに、顔の造形を罵倒していますね。また飛んで7話、トド松は合コンに誘われたことに関して「ワンランク上の人間になれたんだ」と涙を流します。おかしくないですか。可愛い女の子と仲良くなりたい、合コンとか誘われて行ってみたい。確かにそれはトド松だって思っていたことだと思います。けれどまず先に、彼は自分の立場のことを考えた。おかしくないですか。それって、サチコとアイダを利用して自分の価値を測ろうとした・高めようとしたことの裏付けになりませんか。女を使って、自分を上げようとしたと解釈出来ます。8話のおそ松に関しては重箱の隅をつつくようで申し訳ないのですが、とかくセクハラは女性を下に見ていないと出来ないことだと解釈しているのでこれもミソジニーに含めます。2話の選出理由もそれ。

 そして9話。私はあれを純愛だと思ったし、叶わぬ悲恋だと思いました。放送中は泣きましたし、終わった後も散々喚いて、寝て起きて小説も一本上げました。それくらいのギャグを捨てたアニメだと思ったし、十四松と彼女が幸せになるif創作はとても好きです。けれど、9話はそれまでとは比べ物にならないくらい差別的だったとも解釈出来ます。あの話において、彼女の暗部は明記されないまま終わります。具体的に何があったかもわからないまま、視聴者には「上京してきてAV女優になる」ということが「自殺したくなるほど追いつめられる」ことだという認識だけ残して終わるのです。現実には同じ境遇の人もいるだろうし、今まさに前線で活躍して世の男性方にお世話になられる女優の方が多くいるのに。ニート六人が集まったアニメで、職業の貴賤と後ろめたさについて触れたのです。繰り返しますが私はあの話が好きです。けれどミソジニーという観点においては、9話は絶対に外せない話だと思います。あと10話。あれはもう、完全にミソジニーの煮凝りみたいな話でしたね。笑いました。声出して笑いました。大好きです。けれど10話も大概女性差別がすごかった。まず六つ子は童貞無職クズニートの分際で、(昔馴染みの女装姿であるとはいえ名目上女に対し)ブス! と容赦なく罵倒します。お前らなんか願い下げだ! って言ったんですよ。「イヤミもチビ太も何やってんだよ、気持ちわりーカッコして」じゃないんですよ。「どう見ても化け物、鏡見ろ馬鹿」「ケツ毛燃えるわブス」「吐きそうだ」「消えろ、飯食えなくなる」「アロマ企画でもないねー」(!)「ワンアウト・ツーアウト・スリーアウト、チェンジ!」「じゃーな、ブス!」ですよ? 私この流れるような罵倒がたまらなくて十分耐久動画とか延々聞いてましたけど、冷静に考えたら酷くないですか? 9話で散々AV女優のことに触れたのに、女性(と目されるもの)を罵倒するのに「アロマ企画でもない」と言った。アロマ企画はいわゆる、ちょっと変わったアダルトビデオのレーベルです。六つ子は女性をジャッジ出来るつもりでいて、しかも蔑むボキャブラリーにはイロモノAVの存在が入っている。どれだけ女を下に見てるんだって話ですよね。しかもこの後イヤミとチビ太は美女の姿になってリベンジするわけですが、これまた六つ子の没頭ぶりが酷い。チョロ松も「こんな美人と並んで歩けるなんて」と感動していましたし、おっぱいもたくさんチラ見していたわけですが、そしてそれに対してイヤ代も値段をつけて請求したわけですが。つまりこれ、「私をアクセサリーにしていい気分になった分の対価は頂きます」ってことです。最終的に六つ子はあれだけ働きたくないとごねたくせにあっさりバイトを始めて(それこそ人に言えないような、多分あれ軍事系のお仕事……?)大金を稼ぎます。「エロいことしたい一心で」。これもう売春ですよ。「デートしたいからお金を出す」んじゃない、「金さえ出せばこの女はどんなエロいことでもやってくれる」に切り替わってしまっている。売春です。10話は金という不変的対価で、女を好きにしようとする回です。私本当にこの話も大好きなんですけれど、六つ子が女に狂っていくところとか最後の拷問シーンとかめちゃくちゃ笑ってるんですけれど、やっぱりミソジニーとしてみるなら10話も相当酷いです。

 で、13話。痴漢冤罪のシーンは序盤に出てきて、実松さんの不憫さを表す事件として描写されます。気の強そうなギャルの女性は、完全に実松さんにとって悪意ある敵とみなされるわけです。また『じょし松さん』。男であれば無職ニートで成立する六つ子を、女にしてみたら全員それなりに仕事をして恋バナばかりしているキャラになりました。私自身あれはパラレルのようなものだとは思っているのですが、「女になったらモテとスイーツのことばかり考えて愚かになる」描かれ方はミソジニーと見なせるのかなと思います。これは『じょし松さん』より、某有名海賊王漫画や某有名大江戸SFコメディ漫画であった性転換ネタの方が分かりやすいかもしれませんね。男の時は強く格好良かったキャラが、女になるとダメダメになる。逆に女キャラは男になると、普段にも増して凛々しく格好良くなる。この手のネタでの改変は、おおむねミソジニーが付きまとうように思います。繰り返しますが私は『じょし松さん』も普通に楽しく見ましたし、もっと言えば例に挙げた某コメディ漫画のネタも好きです。けれど女はくだらないことしか考えていない、というようなキャラ付けになっているのもそこそこ事実。

 こうして振り返るだけでも、『おそ松さん』はかなりミソジニーの強い作品であるのは間違いではないと思います。それは六つ子自身が拗らせているともとれるし、制作陣の思想が反映されているともとれる。しかし私はこの件に関して、散々挙げておいて何ですが、一切批判するつもりはありません。私は六つ子の女性差別を「クズを描出する一要素」として見ているからです。少なくともフィクションであるうちは、童貞ニートでパチンカスの穀潰しどもが女のことも消費物にしてる! とただただ愉快に思います。何故なら『おそ松さん』においてこれだけミソジニーを拗らせている六つ子達に、登場する女性陣は誰一人として振り向かないからです。2話でサチコとアイダははっきりカラ松の眼差しに不快感を示し「キモイ」「死ね」と拒絶しています。また7話ではトド松に幻滅するシーンがきちんと描かれている。にゃーちゃんはおそ松のセクハラ発言にドン引きして硬直しています。六つ子のアイドルであるトト子ちゃんははっきりと「同年代の同性に対して優越感を抱きたい」と明言しました。六つ子を利用しながら「私が可愛いのはあんたたちのためではない」と突き放し、12話のクリスマス回でも「プレゼントもお金ももらうけどデートはしたくないし既成事実も作りたくない」と拒絶している。10話でも結局イヤ代とチビ美は仮初のものだったと明かされますし、13話『実松さん』は実松さんが狂っていた(=実松さんの視点で見ていた痴漢冤罪が、本当に冤罪だったのか分からなくなった)ことが明かされます。『じょし松さん』でも「私が努力してモテようとするのは狙っている男がいるから」「そしてその男は姉さんと慕ってくれる可愛い後輩であったり、私について来られる男であったり、若くて俳優でイケメンであったり、山登りでおごってくれる男である」とはっきり言いました。しかも「女の敵は女」という発言に誰一人賛同せず「いや一子がそれ言われたのは嫌味じゃなくてガチで口臭いからだよ」とオチがつきます。しかも彼女達は「男なんかいらない!」と抱き締めあって仲直りし友情を確かめていました。六つ子や世界が女を「オンナ」として消費するほどに、赤塚台の女達はそれに冷たい眼差しを向けます。消費されることにNOと言える。私達が可愛いのはあんたらのためではない。私達はあんたらの都合のいい「オンナ」じゃない。はっきり意思表示をしている。だからこそ私は、『おそ松さん』のミソジニーも笑って流せるのです。六つ子が「オンナ」を求めている限り幸せになれないから、そしてそれが分かっているから、私はミソジニーを拗らせたクソ野郎どもを愛おしいと思えます。

 ちなみに余談ですが、私は三次元の、つまり私達が生きる現代においてのミソジニー野郎(ここでいう野郎は男性だけを指すのではありません。女性でもミソジニーを内包している人はいます)は大嫌いです。自分だって内包しているくせに、とは思いますが、そんな私でも理解して嫌悪感を抱くほどもっと露骨なのが世の中にはいる。知人の年上男性から今思えばセクハラだよな、と思うような発言を繰り返し受けていたことが以前ありましたが(その辺りの認識が疎いのは私が単純に馬鹿だからです)、扱いが面倒だから流していただけで不快じゃなかったわけではありません。その人のことが好きとか嫌いとか以前に、彼に悪意がないと分かっていても、セクハラ発言を受けるのはひたすら「うっぜーな」と思っていました。某掲示板で稀によく見る、女のことをマ〇コ呼ばわりする男も気持ち悪い。ちょっとイケメンが出てくるアニメだからってすぐ「腐女子向けアニメ乙」とかいうヲタクも嫌だ。腐女子は精神病なんだよ関係性萌えなんだよ! ガワが綺麗であることはプラスにはなるけど絶対条件じゃねえんだよ! 何も知らねえくせに! それから声豚が声優さんの恋愛報道や結婚報告に対してすぐ「○○(男性声優)の声を聞くと△△(女性声優)の愛液が耳にかかる」とか言うのも本当にしねばいいと思う。あとは芸能人の不倫騒動ですね。あまり詳しくはないのですけれど、それにしたって「未婚女性が妻ある夫を誘惑するなんて」「夫のある身でありながら男を誘惑するなんて」って言われ方、多くないですか。別に不倫を肯定するわけじゃないし、「だって寂しかったから……」とか言い訳する女にもほとほと反吐が出ますけど、ネットを見ていると決まって女が悪者にされている。それに対して被害者である妻が逆襲に出たりすると「オンナってこえーwww」とか言われる。馬鹿か? 殴られたら殴り返すのは正当防衛で、それが女であるかどうかなんか関係ないだろうが。ていうか! 仮に女が全部悪くて誘惑したんだとしても! 妻ある身で、あるいは夫ある女性の誘惑をまんまと受けたクソ馬鹿男のこともちょっとは槍玉に上げろ! 何で不倫騒動っていつも妻vs不倫女性みたいな構図なんだよ! ゴミクズみたいな意志の脳みそ海綿体男のことも叩けよ! クソが! 大嫌いだ!

 余談で熱くなってしまいました。申し訳ない。これ以上私の三次元ミソジニーヘイトを書き連ねていると『おそ松さん』から離れすぎてしまうのでこの辺りにしておきます。ただ何が言いたかったかというと、私は二次元と三次元のミソジニーを区別していて、かつ『おそ松さん』のミソジニーはきちんと六つ子が報復を受けているので安心して見られるし大好き、PC配慮とやらもしていないわけではないんじゃないかなということです。

 次は松野家の閉鎖空間の話をします。ミソジニーというか、まあそういう視点もちょっと含めつつ、13話Cパートについてお話したいと思います。正直言うとこれが本題で一番書きたかったトピックです。……前置き長すぎか?

 

2.松野家の狭い世界

 13話Cパートのあらすじは先述の通りなのですが、もう少し細かく説明してみたいと思います。

 年始早々パチンコに負けて帰ってきたおそ松は、チョロ松が部屋で自慰行為をしていたところに出くわしてしまいます。それに対して怒り狂うチョロ松。夕食の席で攻撃したのをきっかけに(何故わざわざ兄弟の前で敵意をむき出しにしたのかは分かりません。腐女子的には見られた後に何かあったんじゃないかと勘ぐってしまいます)、兄弟にもそのことが露見してしまいます。シコ松、と揶揄われたことに対してチョロ松は「そういうデリカシーのないところが前から嫌い、勢いだけの人間、死ね!」と暴言を吐きます。そこからおそ松も応戦し、チョロ松に対して「やりもしないのに就活して自分だけは違うアピールをするのが腹立つ」と吐露。そこからおそ松とチョロ松の喧嘩が始まり、そしてそれはトド松・一松も巻き込んで盛大な兄弟喧嘩になっていきます。これまで誰しもが気になっていたキャラクター性のことをずばずば切り捨てていく凄まじい回でした。最終的に兄弟は別段仲直りすることもなく、一晩明けて、普段通りの日常に戻っていきます。

 さて、私がこの文章を書こうと思ったきっかけのシーンの話をします。チョロ松に「嫌い、死ね」と言われたおそ松が、弟への反撃に用いたこと。それが私にはとても印象的でした。「じゃあ言わせてもらうけど! そのバカのエロ本使ってオナニーしてたのはどこの誰!?」この言葉にチョロ松は図星を突かれて絶句し、しかも兄弟達からも口々に「ないな」「引くわ」と白い目で見られてしまいます。その上でおそ松は他の弟達に対しても「いやお前ら全員同じことしてるの知ってるからね」と暴露。弟達はしどろもどろになりながら、自分のエロ本の隠し場所を漏らして誤魔化そうとします。「この家エロ本何冊あんだよ!」本当だよ。しかしおそ松はそれだけの爆弾発言をかましておきながら、こう締めくくるのです。「でもいいの! だって兄弟だから! エロくても変態でも平気!」この一連の流れに、私は『おそ松さん』の「オンナ」の描き方と六つ子の狭い閉鎖空間を見出したような心地がしました。松野家が閉ざされた箱庭であるということは前回のアダルトチルドレン考察でも触れましたが、また一つそれが裏付けられたなと言う感じがします。

 確かに自慰行為はかなりプライベートなことであり、あまりおおっぴらにしていいものではありません。ましてや六つ子は二十歳超えた(私は7話でトド松が大学生と詐称したことも含めて、勝手に六つ子と自分は同年代だと思っています)青年。自分のズリネタくらい自分で用意するのが当然だし、兄弟のもので勝手に抜くなんて引くわ、ないわ、という意見もよく分かります。

 ですが少し考えてみてください。9話Bパートでおそ松は、レンタルショップのAVコーナーに入る時、「俺にも彼女いっぱいいるし」と言ったのです。十四松に彼女が出来て、かつ順調で幸せそうなことを妬んだ比喩ともとれます。けれど少なくともあの場において、おそ松にとってAV女優は「自分の彼女」でした。それを踏まえて13話。私は「兄弟のエロ本を使うこと」に、「寝取り・寝取られ」の概念があるのでは、と感じたのです。長兄のエロ本を使うことは、長兄の彼女を寝取ること。そうした比喩的な思想が、兄弟にもあったのではないのかな、と感じました。現におそ松はそのカードを「チョロ松への反撃」に使いましたし、チョロ松もそれに対してギクリとした態度を取ります。他の兄弟も同様です。その上でおそ松はそうした行いをする弟達に対して、「エロくても変態でも平気」と言ったのです。ちょっと不思議じゃないですか? 確かに兄弟で、二十歳超えた男六人が雁首揃えてズリネタを共有するのも変な話ですけれど、それって「エロくて変態」のカテゴリに入ってしまうほどのことですかね? たかだかエロ本の貸し借りに、変態という要素が入るのでしょうか? そう思った時、そこに「寝取り」の要素があれば納得出来ます。まあ正直他兄弟のエロ本ラインナップが「生パンティ付き」だの「ケモノ娘」だの「獣姦特集?」だの結構ニッチだったので、それを含めて「俺は弟の性癖も把握してるけど、それでも平気」という意味の「変態」発言だったのかもしれませんが。それでもおそ松はその言葉に続けて「だけどこいつは!」とチョロ松を攻撃する方向へシフトしているので、少なくとも「寝取り寝取られ」の意識はあったと考えていいように思います。

 ここで言いたいのは、「たかだかエロ本の貸し借りで寝取る寝取られるの話が出るって、どんだけ狭い世界で生きてるんだこいつら」ということです。レンタル彼女の時は六つ子割だったから仕方ないとはいえ、三人ずつに分かれて同じ彼女に入れ込んでいた癖に。六つ子の中で女はどこまでも「オンナ」という概念であり、そこに実体がないのだなと思います。だからこそ印刷物に過ぎない本の中の女達をまとめて「彼女」と捉え、それを内緒で拝借することは後ろめたさが生じるものになる。現に10話のイヤ代とチビ美は実際には存在しない女でした。あれはイヤミとチビ太が作り上げた空想の女です。振り返ればカラ松も2話でサチコ・アイダに空想上でちやほや言われていますし、4話でトト子ちゃんの部屋に呼ばれた兄弟はみんな邪な妄想に耽っていました。「期待したー!」とトド松は泣きましたね。その期待の中で、六つ子の頭の中にいるトト子ちゃんはどんなことをしてくれる女神だったのでしょうか。六つ子の中で女は概念でしかない。頭の中にいるのは常に「美人で自立してて都合がよくて自分達を気持ちよくしてくれる」存在です。女ではない。「オンナ」です。そんなものが実際に存在していないことは、六つ子が報われていないことから見ても自明ですね。ちなみに六つ子の中で不細工な女性は「ブス」という生き物にカテゴライズされているので、彼女達は「オンナ」ではありません。赤塚台にはたくさんの女性がいるはずで、中には不美人だっているはずなのに、それは六つ子の視界に入らない。『おそ松さん』の女キャラは皆可愛いなと思っていましたけれど、それは六つ子の目を通して描かれる世界だからなんですよね。可愛くて当然です。だって六つ子にとって「オンナ」は可愛いものだから。13話Bパート『じょし松さん』などはまさにそうですね。一見すると六つ子の外見そっくりですけれど、彼女達は六つ子の視界に入れるレベルの女子なわけです。皆生き生きしてて自立してて、働いてるからそれなりにお金もある。美容に気を遣っているから見目もそこそこいい。彼女達もまた、六つ子にとっては「オンナ」です。出会うことはないと思うけど。

 六つ子が全ての女を「オンナ」という消費物ではなく、対等な人間として見られれば、たかだかエロ本一冊で寝取った寝取られたという概念も無くなるとは思うんですけれどね。どうなんだろうね。

 

3.おわりに

 前回以上に支離滅裂な話になってしまったなあと反省しているところです。私はやはり自分で何か論を立てることが向いていないのかもしれない。少しでも読んでくれたみなさまの暇潰しになれたのであれば幸いです。ひとまず私が言いたかったのは「『おそ松さん』はミソジニーがふんだんに盛り込まれたアニメではあるけれど、あの世界に生きる女達はそれにNOと言える、だから見ていても不快にならない」ということ、そして「六つ子はいつまで六人で固まってクソ狭いホモソーシャル形成の中でミソジニー拗らせてるの? 超ウケる、萌える」ということです。これはあくまで主観です。だから「そうはいっても女性差別的表現は傷付くよ」と言う人がいていいと思うし、「六つ子はそんなクズじゃないし、六つ子を袖にする女の子は好きになれない」と言う人がいても構わないと思う。作品をどう読み解くかは個人の自由です。ただ私自身は、六つ子にはそういう側面があって、それが修正されて幸せになるのも・あるいはこのまま突き進んで童貞拗らせていくのも面白いと思う。何はともあれ今後が楽しみですね、という感じで終わりたいと思います。書き出すまでにダラダラしてたらもう15話が迫ってきている。(1/22追記:もう見ちゃったよ15話。凄かった、正直まだ整理できてない)

 そもそも『おそ松さん』は1話を見れば分かる通り、かなり制作陣が「客層を熟知しているやり手」であると察することが出来ます。だってどう考えたってあんなの話題になるに決まってるじゃないですか。結局お蔵入りになるところも含めて、客寄せの宣伝回だったのではないかとさえ思います。食いついたところを2話から見続けさせる、そうすればハマった人は円盤の特典映像が欲しくなるわけですから。グッズ展開も滅茶苦茶早い上に、元がデフォルメ調だから一定のクオリティが保てている。凄い。凄いぞ公式。搾取し慣れている感じが凄い。

 基本的にヲタクという人種は「媚びられると萎えるか調子づいて面の皮が厚くなる」「人よりズブっていることを何故か誇る」という性質があると(私は)勝手に思っています。なのでこれからも制作陣も皆さんには、媚びることなく視聴者の横っ面をぶっ叩く穿ったアニメを作ってほしいし、巧妙な手口で金を巻き上げてほしいなと感じています。買う買わないは視聴者の自由であり、買わない奴が売り方に文句をつける筋合いはない。気持ちよく貢がせてくれるのが楽しみです。私は搾取されることの代わりに夢を抱かせてもらっている。私は六つ子を、とりわけカラ松を養いたいんだ。これからも毎週ドキドキしながら見たいと思います。読了頂き有難うございました。

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 ミソジニーに関する話題は『おそ松さん』に限らずまだまだ色々考えられそうです。また何かまとまったら記事に上げたいと思います。